歳をとると時間の流れが早くなると良く聞くし、確かにそうだと感じる。
小さい時は日々新しい出来事に囲まれていたなって思う。
幼稚園に入れば新しい友達ができて、その友達の家に行って自分の家族とは違う家族を見て、この父さんかっこいいな、この家かっこいいな、自分の家にはないゲームを楽しんだりしてた。小学校、中学校、高校と人付き合いの幅も広がり、行動範囲も広がってくる。新しいおもちゃが欲しいと言う欲望から、もっとスポーツが上手になって試合に勝ちたいとか、かっこよくなってモテたい、だから髪型を工夫したり、かっこいいと言われている服を買いに行ったりしていた。好きなこと話したり、モテなくてもその一喜一憂さえも日々の張り合いになっていた。
さらに大学に入って実家を離れて一人暮らしをして、会社に入って自分でお金を稼いで旅行や合コンに行って、いわゆる社会人っぽい自分が何か大人っぽい気がして成長しているような気すらしていた。仕事でも右も左もわからない中で早く一人前になりたいと思い、がむしゃらに働き、少しでもすごくなりたいと思っていた。すごいって何かも分かってなかったけど笑
でも30代になって、一通り遊んで仕事にも慣れてくると面白みが減ってきた。
都心のカフェで過ごす事さえも大人びているようで楽しかったあの感覚は消え失せて、何をするにも既視感があって当時と同じ熱量で楽しさを味わえているわけではない。何か物足りないのだ。
新しい恋愛を始めると楽しい。でもその先を望むようになる。そのデートを楽しむ以上にこれからの二人の関係がどうなっていくのか、結婚できる相手なのかを考えるようになり、純粋にデートを楽しむ気持ちとは変わってきてしまう。
何か物足りない、このままではダメだと思うが、どうすれば良いかわからない。ピンとこないのだ。
振り返ってみると、小さい時はこれをしたら楽しいに違いないと言う気持ちよりも半ば強制的に新しい環境に投げ込まれ、その環境に適応するように日々もがいて気づけば時間が過ぎて、でも新しい環境で味わえるかもしれない良いことに期待を寄せていた。未来へわくわく、どきどきした気持ちを持ちながらも、日々があっという間に過ぎていく、と言う感じだった。
今は日々可惜に生じる仕事上の問題に追われているが、それにワクワクがあるわけではなく、気づけば時間が過ぎている。何かをしても新鮮な驚きや興奮が昔ほどあるわけではない。
でもそれは自分の安定したところに居たいと言う気持ちや、人生で得てきたストレスから回避する方法を学んできた結果かもしれない。
新鮮な感情を味わうには、今の環境から足を踏み出さないと得られない。
新鮮ってそう言うことなんじゃないか。想定の範囲内だったら、新鮮とは言えない、驚きはない。
自分にとって心地よい安定したこの日々を変えたいなら、何かしら新しい環境に身を投じないとダメだ。
まさにアインシュタインの名言である「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」をしちゃダメだ、と言うことだ。(いや実はアインシュタインは言ってないと言うらしいです→アインシュタインが言ってもいないのに広まってるアインシュタインの名言9つ | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp))
そんなことを下の動画を見て考えさせられた。